株式会社菊池組 一般建築・社寺建築・不動産 青森県むつ市柳町4-9-5
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菊池組と下北の歴史と歩み(赤文字は菊池組関連)
 安政年間(1850年代)  ■菊池勘三郎、大工修行ののち、南部藩領 田名部村女舘(おんなだて)にて
  建築工事請負業を創業。 (現在の青森県むつ市田名部女舘)

 ■この頃の田名部には南部藩の代官所が置かれ
  下北の産業、経済、文化の中心
となっていた。
 明治3年(1870年)  ■下北地方は斗南藩領となる。
 明治4年(1871年)  ■廃藩置県により、8月に斗南県となり、9月に弘前県、その後青森県となる。
 明治22年(1889年)  ■町村制により城ヶ沢、大湊、大平の3ヶ村が合併し大湊村となる。
 ■田名部、奥内、中野沢、関根4ヶ村が合併し田名部村となる。

 ■大畑、正津川の2ヶ村が合併し大畑村となる。
 ■大利ほか11ヶ村が合併し東通村となる。
 ■佐井、長後の2ヶ村が合併し佐井村となる。
 ■下風呂、易国間、蛇浦の3ヶ村が合併し風間浦村となる
 ■大間、奥戸の2ヶ村が合併し大奥村となる
 明治27年(1894年)  ■日清戦争開戦
 明治中期~後期頃  ■菊池煉瓦工場設立。社寺建築だけでなく、土蔵、店舗等の商業建築、
  学校等の公共建築等、幅広く手掛ける。(菊池丑松)
  
 明治28年(1895年)  ■日清戦争終結。
 ■岩屋尋常小学校舎新築落成。(菊池丑松)
 明治32年(1899年)  ■田名部町制施行。
 ■大平尋常小学校舎新築落成。(菊池丑松)
  大平尋常小学校
 明治35年(1902年)  ■日本帝国海軍 大湊水雷団が創設され、以降大湊は海軍の町として栄える。
 明治37年(1904年)  ■日露戦争開戦。
 明治38年(1905年)  ■日露戦争終結。
 ■大湊水雷団は大湊要港部となる。 
 大正2年(1913年)  ■奥内八幡宮新築落成。(菊池丑松)
  奥内八幡宮
 大正3年(1914年)  ■大湊宇田八幡宮新築落成。(菊池丑松)
  大湊宇田八幡宮
 大正6年(1917年)  ■川内町制施行
 大正8年(1919年)  ■この頃用いていた屋号は「マルセ」である。(菊池貞吉)
 昭和3年(1928年)  ■大湊町制施行
 昭和9年(1934年)  ■大畑町制施行
 昭和16年(1941年)  ■大湊警備府が開庁、太平洋戦争開戦。
  昭和15年に1万人程度であった大湊の人口は10万人を超えたといわれる
。  
 昭和17年(1942年)  ■大奥村、町制施行により大間町となる。
 昭和20年(1945年)  ■太平洋戦争終結。
  大湊警備府は海軍解体により廃止。
  大湊警備府が本土決戦に備えて備蓄していた膨大な軍需物資のうち、
  衣料や食糧が民間にも放出されたため、大湊をはじめ下北の人々は
  大きな恩恵を受けた。しかし、海軍が解体された大湊には失業者があふれ、
  比較的打撃が小さかったといわれる田名部でも物資統制などの影響を受け
  苦難の時代を過ごしたといわれる。
 昭和20年~  ■戦後の復興の中、菊池政吉・政幸 親子の活躍によって、
  再び社寺建築工房としての高い評価を得るようになる。(菊池政吉・政幸)
 昭和28年(1953年)  ■警備隊に大湊地方隊が新編される。
 昭和29年(1954年)  ■防衛庁設置法及び自衛隊法により海上自衛隊・大湊地方隊となる。
 昭和31年(1956年)  ■大湊航空隊が編成される。
 昭和34年(1959年)  ■大湊町・田名部町が合併し、県下で8番目、大湊田名部市が誕生する。
  当時は日本一長い市名であった。 初代市長に杉山勝雄氏が当選。
 昭和35年(1960年)  ■大湊田名部市は全国で初めてである平仮名の市「むつ市」に市名を変更。
 昭和40年(1965年)
 ■大平町 願求院本堂新築落成。(菊池政吉)
  願求院
 ■建設業登録申請にあたり、「菊池組」という商号を正式に用いる。(菊池政幸)
 
 昭和42年(1967年)
 ■拠点を現在の柳町4丁目に移す。
(しかしながら女舘に隣接しているため現在でも「女舘の大工・菊池」と呼ばれている。)
 昭和43年(1968年)
 ■十勝沖地震発生(震度5、マグニチュード7.8)。
  3階建であったむつ市役所の3階部分が倒壊し、2階建となる。
 ■下北半島を国定公園に指定。
 昭和45年(1970年)
 ■田名部町 常念寺本堂 新築落成。(菊池政幸)
  常念寺本堂新築落成

 ■菊池政幸、職業訓練による人材育成の功績を称えられ、青森県知事表彰。
 昭和47年(1972年)  ■菊池政吉・政幸による数々の社寺建築工事の実績を賞され、
  青森県卓越技能者賞受賞。(菊池政吉)
 菊池政吉
 昭和49年(1974年)  ■東北職業訓練協会長表彰。(菊池政幸)
 昭和51年(1976年)  ■小川町義勇組 山車 「猩々山(しょうじょうやま)」 屋根新造。(菊池政幸)
 小川町「猩猩山」


 ■大湊上町 常楽寺本堂新築落成。(菊池政幸)
 常楽寺本堂
 
 昭和52年(1977年)  ■菊池政幸、交通事故により死去。(享年51歳)
 ■菊池一壽、菊池組代表に就任。
 昭和52年(1978年)  ■菊池政吉、死去。(享年76歳)
 昭和59年(1984年)  ■むつ市は福島県会津若松市と姉妹都市提携。
 昭和61年(1986年)  ■この頃より下北地域外における社寺建築の設計・施工を多く手がけるようになる。
 昭和62年(1987年)   ■FP工法導入。
  下北の厳しい環境の中でも快適な住環境を提供するため、
  高気密・高断熱の住宅工法をいち早く導入した。

 ■株式会社 菊池組に組織変更。
 
 昭和63年(1988年)   ■東通村100周年を記念し、それまでむつ市内に置かれていた村役場庁舎を
  村内に設ける
 平成7年(1995年)   ■むつ市はアメリカ合衆国ワシントン州ポートエンジェルス市と姉妹都市提携
 平成8年(1996年)  ■不動産部設立。
 平成13年(2001年)  ■本州最北の鉄道であった下北交通大畑線が廃止される。
 平成17年(2005年)   ■むつ市は大畑町、川内町、脇野沢村を編入し、新むつ市としてスタート。
 平成19年(2007年)   ■これまで会社のスローガンとして掲げてきた「伝統の技術を現代に」を
  下北の明るい明日への願いを込め、「伝統の技術を未来に」へ変更。
  少子高齢化、環境問題など、さまざまな問題への意欲を燃やす。
   
 平成21年(2009年)   ■むつ市役所庁舎が金谷一丁目から中央一丁目へと移転された。



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